原点

バレエを習いはじめる

5歳でバレエに出会い、全身全霊で自分を表現できるバレエの魅力に取りつかれました。無心で踊っているときは、家庭での辛いことを忘れ、生きていることを実感できたのです。結果を残せば、父も「バレエをやめろ」とは言わなかったので、必死で稽古に励みました。

英国ロイヤルバレエ団合格

13歳で千葉シティジュニアバレエ団に入団。15歳の時にNBAバレエコンクールに出場するなどキャリアを積み、17歳のときには、世界最高峰のバレエ団、英国ロイヤルバレエ団のスカラーシップのオーディションに合格しました。

過酷な家庭環境

母を殴り続ける父、顔を腫らしてなく母。私は親に裸のまま外に出されたり、ご飯をもらえなかったり、殴られたり。それが「普通の家庭」ではなく「DVの家庭」だったと気付いたのは大人になってからでした。

隔離

母が余命一ヶ月と宣告される

英国ロイヤルバレエ団への留学の切符を手にしたころ、母が末期がんにより余命一ヶ月と宣告されました。私は、英国への留学を辞退し、母と一緒にいることを決めました。それは、バレリーナへの道を諦めることも意味していました。

母の死

私が19歳の時、母は闘病の末に39歳の若さでなくなりました。両親は離婚していたので、私が二人の弟を養っていく必要がありました。母と最後の数ヶ月を一緒に過ごすこと、弟たちと一緒に生きていくことを選んだ自分の決断を、後悔はしていません。

閉鎖病棟に隔離される

このころ、私に「解離性障害」が発覚し、精神科の閉鎖病棟に強制入院させられました。解離性障害とは、許容範囲を超える現実から自分を守るため、別の人格を作る、多重人格のこと。父の虐待から身を守るため、意識を失わせて、別の人格を作っていたのです。意識のない中、自殺未遂をしたため、閉鎖病棟に入れられてしまったのです。

覚醒

閉鎖病棟から出る

治療過程でわかったのは、私と母の共依存。母からの自立を支えてくれた看護師さんたちのお陰で、人格の乖離や意識を失うことが少なくなりました。そして、何よりも、「早くダンスをしたい!」という想い。入院中も、廊下の手すりにつかまりダンスの練習をしていた私ですが、ダンスへの強い想いから病気を克服し、再び世にでることができたのです。

ダンス講師として独立・カンパニー創立を決意

25歳の時に独立して、「大人からでもできるはじめてのバレエ」を開講しました。身体で表現することで、生きていること、今までとは違う自分がいることに気づいてほしいという想いでした。同時に私は、ダンスカンパニーをつくるという夢を抱くようになりました。

旗揚げ公演開催&新プロジェクト始動

ダンスカンパニーの「団員募集」に集まったのは、プロとして活躍中のダンサー、新潟や大阪からレッスンに通う人、バレエ大好き人間、わたしの小学校の幼なじみ、一大決心をして仲間になってくれたわたしのファン…。そして、私がダンスカンパニーを作ることを決意してから1年。この個性豊かなダンサーたちをメンバーとする大瀧冬佳ダンスカンパニーUzmeの旗揚げ公演が実現!